March 09, 2010
入門! 論理学
入門!論理学 野矢茂樹 著
本書は、先日読んだ「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書 400 冊」の中に、小泉元首相の国会答弁や細木数子の占いには論理性が致命的に欠けているのに多くの日本人がそれを気にせず怒らないのはマズいでしょうという話があり、そこで論理の基本を学べる本として紹介されていたものである。
上の問題は、本書からの抜粋(第 4 章後半)だ。
問題 次の推論(1)〜(3)の中から、正しい演繹的推論を選びなさい。「演繹的推論」という言葉は難しいので「論理的に結論が導ける推論」という言葉に置き換えてみたとき、この問題がすぐわかるだろうか?
(1)ある行為が犯罪とされるためには、その行為が刑法に定める犯罪の型に合致し、かつ、違法であることが必要である。債務不履行は犯罪ではない。だから、債務不履行は刑法が定める犯罪の型に合致しないか、または、違法ではない。
(2)二郎か三郎が花子のプレゼントをもらうならば、太郎は花子のプレゼントをもらえない。花子からプレゼントがもらえないと、太郎は見るもあわれに意気消沈する。だから、太郎が見るもあわれに意気消沈しているのでないならば、二郎は花子からプレゼントをもらえなかったということだ。
(3)上海亭はおやじのきげんが悪いと店を開けない。上海亭がやっていないと、太郎は昼食にコンビニの弁当かカップ麺を食べる。だから、太郎が昼食にカップ麺をすすっているならば、上海亭のおやじはきげんが悪いということだ。
本書は、先日読んだ「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書 400 冊」の中に、小泉元首相の国会答弁や細木数子の占いには論理性が致命的に欠けているのに多くの日本人がそれを気にせず怒らないのはマズいでしょうという話があり、そこで論理の基本を学べる本として紹介されていたものである。
上の問題は、本書からの抜粋(第 4 章後半)だ。
最初に言ってしまうと、とりあえず一通り読んでみた(新書なのでボリュームは軽い)だけでは、内容の半分くらいしか私の頭には入らなかった。
そして、たぶん二度と読み返すことはないと思う。
私の頭では論理学の面白さが理解出来ず、「だから何なのよ?」という感じでイマイチ入り込めなかったのだ。
私がかろうじて理解出来たことは、論理とは言葉と言葉の関係を扱うものだということと、推論(演繹)と推測とは違うということ、そして「ではない(否定)」「かつ(連言)」「または(選言)」「ならば(条件法)」および「全て(全称)」「存在する(存在)」というたった 6 つの言葉の定義と活用によって論理の体系が出来ているということだった。
つまり、論理的に考える、すなわち推論とは、考える対象を、この 6 語をジョイントとした言葉と言葉の関係として捉えるということになるという話だ(と思う)。
確かにこれは凄いことなんだと思う。たった 6 語で世の中の多くのことを説明出来てしまうということなのだから。
しかし、私は「だから何なのよ?」と思ってしまうわけだ。
そして、私は論理学とはどういう学問か?ということが知りたいのではなく、ただ論理力を高めたいだけだということが良くわかった。
そこで、本書の著者、野矢茂樹さん(この人の文章は面白い)が「これは論理学の本ではなく、論理的になるための実用書を目指した」と言っている「論理トレーニング 101 題
」という本を購入し、そちらに取り組み始めている。これは面白い。
最初の問題の答え
(1)×
「債務不履行は刑法に定める犯罪の型に合致しないから犯罪ではない」とも「債務不履行は違法でないから犯罪ではない」とも書かれていない。よって、その他の理由で犯罪にならなかったという可能性が考えられる。
(2)○
この文章を論理的に検証すると「太郎が意気消沈してるのでないならば、花子からプレゼントをもらったということだ」ということと「太郎が花子のプレゼントをもらうならば、二郎と三郎は花子のプレゼントがもらえない」ということが導き出せる(詳しくは本を読んでください)。
これを組み合わせると「太郎が意気消沈しているのでないならば、二郎は花子からプレゼントをもらえなかった」となる。
(3)×
「上海亭はおやじのきげんが悪いとき「だけ」店を開けない」とは書いていない。よって、上海亭がなにか別の理由で店を閉めていた可能性が考えられる。
こう書くと当然の話のような気がするが、日常生活の中では、このようないい加減な言葉づかいに引っかかってしまうことが結構あると思う。
そして、たぶん二度と読み返すことはないと思う。
私の頭では論理学の面白さが理解出来ず、「だから何なのよ?」という感じでイマイチ入り込めなかったのだ。
私がかろうじて理解出来たことは、論理とは言葉と言葉の関係を扱うものだということと、推論(演繹)と推測とは違うということ、そして「ではない(否定)」「かつ(連言)」「または(選言)」「ならば(条件法)」および「全て(全称)」「存在する(存在)」というたった 6 つの言葉の定義と活用によって論理の体系が出来ているということだった。
つまり、論理的に考える、すなわち推論とは、考える対象を、この 6 語をジョイントとした言葉と言葉の関係として捉えるということになるという話だ(と思う)。
確かにこれは凄いことなんだと思う。たった 6 語で世の中の多くのことを説明出来てしまうということなのだから。
しかし、私は「だから何なのよ?」と思ってしまうわけだ。
そして、私は論理学とはどういう学問か?ということが知りたいのではなく、ただ論理力を高めたいだけだということが良くわかった。
そこで、本書の著者、野矢茂樹さん(この人の文章は面白い)が「これは論理学の本ではなく、論理的になるための実用書を目指した」と言っている「論理トレーニング 101 題
最初の問題の答え
(1)×
「債務不履行は刑法に定める犯罪の型に合致しないから犯罪ではない」とも「債務不履行は違法でないから犯罪ではない」とも書かれていない。よって、その他の理由で犯罪にならなかったという可能性が考えられる。
(2)○
この文章を論理的に検証すると「太郎が意気消沈してるのでないならば、花子からプレゼントをもらったということだ」ということと「太郎が花子のプレゼントをもらうならば、二郎と三郎は花子のプレゼントがもらえない」ということが導き出せる(詳しくは本を読んでください)。
これを組み合わせると「太郎が意気消沈しているのでないならば、二郎は花子からプレゼントをもらえなかった」となる。
(3)×
「上海亭はおやじのきげんが悪いとき「だけ」店を開けない」とは書いていない。よって、上海亭がなにか別の理由で店を閉めていた可能性が考えられる。
こう書くと当然の話のような気がするが、日常生活の中では、このようないい加減な言葉づかいに引っかかってしまうことが結構あると思う。